2004年03月31日

「白珠の巫女」

文月夕さん 作
掲載サイト・・・花迷路

クリ坊大活躍で一気に読んでしまった(お出かけの距離が長いとありがたい)。
宝珠に護られた国フェデリアの白珠の巫女エアと守護騎士クリスのとりかえばや恋愛物語。

なんといっても、美しく煌びやかな主人公二人と物語世界が豪華絢爛といった印象だ。この作品をこのまま宝塚へ持っていって、上演してください!と言ってしまいたくなる。美しくたおやかな少年が巫女に、活発できりりと麗しい少女が騎士に、という設定はもうそれだけで萌えツボなのだ。さらに後半、立場を入れ替えて再び出会うところなども、計算し尽くされたような心憎いまでの演出だなあ〜、と感心する。
「とりかえばや」がなぜ萌えツボなのか、を考えると、やはりユング的な解釈に落ち着くのだろうが(その辺は「とりかえばや、男と女」河合隼雄著 新潮文庫、参照ですね。未読ですが)、自分の中の同性に惹かれる部分と異性に惹かれる部分の両方を満たしてくれるのが「美しいもの」ということなのだろう。
しかし、ジェンダーの問題は美しいだけでは片づけられない。「女らしさ」に縛られることを厭うクリスがエアを愛する時、自分が女であることを否応なく認識させられ苦悩する――こういう問題は私自身とても興味があって(だから自分の小説にも書いているのだが)本当に共感してしまうのだ。女であることと女らしくあることは違う。たいていの女はしたたかで、それをうまく使い分けている。だがそれを使い分けられない女はそういうことで悩むのだよね〜。
でも恋愛に関して言えば、ジェンダーは越えられる。ようは相手次第なのだ。互いが「らしさ」を求めず、肉体的には男と女の関係であっても、精神的には同じ人間としての付き合いができれば。クリスにとってエアはそういう相手だった。だから二人ともハッピーになれたのだ。そういう結末になってほんと、嬉しかった。
クリスの心理描写が中心なので、エアの方は終始ミステリアスな雰囲気。何を考えているかいま一つよくわからない感じ。例えばクリスへの告白も唐突で「いつからそうなの?」と疑問符を付けながら読んでた(番外編を読んでやっと納得)。でもそのミステリアスな雰囲気が彼の持ち味なのだろう。そういうのって憧れるんだよな〜、女の子って。
本当はそういう憧れを持って読む物語なのだろうが、ユングの解釈を持ち出したりジェンダーの問題を持ち出したりしてこねくり回す自分はすでに歳を取りすぎたのだと、妙な実感をしてしまうのであった。
posted by きんと at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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